海外駐在員マネジメント実務 連載第4回:駐在員を送らずに海外拠点を立ち上げる方法

はじめに:海外展開のハードルが劇的に下がる「EOR」とは
「海外でビジネスを始めたい。でも、現地法人の設立には数百万円のコストと半年以上の時間がかかる。駐在員を送るとなれば、年間数千万円の投資。少人数からテスト的に始めたいだけなのに、こんなにハードルが高いのか――」
海外展開を検討する経営者・事業責任者の多くが、この課題に直面します。そして実際、この高すぎるハードルが原因で、本来チャンスのある海外市場への進出を諦めたり、後手に回ったりしてきた日本企業は少なくありません。
そんな状況を一変させているのが、近年注目を集める海外雇用代行(EOR:Employer of Record)という仕組みです。EORを使えば、現地法人を持たずに合法的に現地スタッフを雇用でき、最短2週間で海外でのオペレーションを開始できます。コストは駐在員制度の3分の1〜5分の1。米国・欧州ではすでに標準的な選択肢となっており、日本企業の間でも急速に活用が広がっています。
本ブログでは、EORの仕組み、活用シーン、選定基準、導入プロセスまでを、経営層・人事責任者向けに体系的に解説します。
【基本】EOR(Employer of Record)とは何か
一言で言えば「雇用主代行サービス」
EOR(Employer of Record)は、文字通り「公式記録上の雇用主」を意味します。EORプロバイダーが現地の法律上の雇用主となり、給与計算、税務、社会保険、労働法対応などをすべて代行する仕組みです。
日本企業(クライアント)は、業務指示・人事評価・キャリア管理を行いますが、法律上の雇用主はEORプロバイダーです。これにより、日本企業は現地法人を設立せずに、合法的に現地スタッフを「雇用」することができます。
EORの仕組みを図で理解する
| EORの基本構造 【日本企業(クライアント)】 └─業務指示・人事評価・キャリア管理 ↓ 【現地スタッフ】 ↑ └─雇用契約・給与支払い・税務・社会保険 【EORプロバイダー】(現地法人を持つ) 日本企業とEORプロバイダーは「サービス契約」で結ばれ、 EORプロバイダーと現地スタッフは「雇用契約」で結ばれます。 |
EORでできること・できないこと
EORでできること:
- 現地法人を持たずに、現地スタッフを合法的に雇用
- 給与計算・税務・社会保険の処理を完全アウトソース
- 現地労働法に基づくコンプライアンスの確保
- 業務指示・評価・キャリア管理は日本企業が継続
- 複数国への並行展開(プロバイダーの対応国による)
EORでできないこと:
- 現地での「営業活動」(契約締結権限を持たせるとPE認定リスク)
- 現地法人としての公式な事業展開
- 現地での銀行口座開設・テナント契約など法人格を要する取引
【混同しがちな概念】EORとPEOの違い
EORと並んでよく聞く概念に「PEO(Professional Employer Organization)」があります。両者は似ていますが、重要な違いがあります。
| 項目 | EOR | PEO |
| 法律上の雇用主 | EORプロバイダー | クライアント企業(または共同) |
| 現地法人の必要性 | 不要 | 必要 |
| 主な目的 | 現地法人なしでの海外雇用 | 既存法人のHR業務代行 |
| 活用シーン | 新規海外展開、テストマーケティング | 既存拠点のHR業務外注 |
| リスク負担 | EOR側が大部分を負担 | クライアント側で大部分を負担 |
海外進出の初期段階や、現地法人を持たないままの展開を考える企業にとっては、EORがより適したサービスです。一方、すでに現地法人があり、HR業務だけを効率化したい場合はPEOが有効です。
【活用シーン】EORが効果を発揮する5つのケース
ケース1:海外でのテストマーケティング
「シンガポール市場に進出する価値があるか、まず1〜2名で1年間テストしたい」
このようなテストマーケティング段階では、EORが最適な選択肢です。現地法人の設立、駐在員の派遣、複雑な雇用契約をすべてスキップでき、最短2週間で現地スタッフを稼働させられます。
| テストマーケティングでのEOR活用例 ・ある日系SaaS企業:シンガポール市場のテストのため、現地セールスマネージャー1名をEORで雇用。6ヶ月で売上見込みを評価し、1年後に現地法人を設立して本格展開へ移行。 ・現地法人設立を後ろ倒しにできたことで、初期投資(法人設立費+駐在員派遣費)数千万円を節約。 |
ケース2:少人数での海外拠点展開
「現地で営業1名、マーケ1名、サポート1名の小規模拠点を作りたい」
こうした少人数展開では、現地法人を設立しても固定費が大きく、ROIが見合いません。EORなら、3名の少人数体制を、現地法人なしで運営できます。
ケース3:特定機能(営業、技術、マーケティング)の現地展開
「日本本社の機能のうち、現地に置きたいのは営業だけ」「カスタマーサポートを現地時間で対応したい」
こうした「機能別の海外展開」もEORの得意領域です。本社の組織体制を変えずに、必要な機能だけを現地に置けます。
ケース4:駐在員制度の代替
既存の駐在員ポジションをEORに切り替えるケースも増えています。「駐在員1名のコスト4,000万円」を「現地採用+EOR運用1,500万円」に置き換えることで、年間2,500万円のコスト削減が可能になります。
ケース5:複数国への並行展開
「シンガポール、香港、台北、ソウルに同時に拠点を作りたい」
伝統的な手法では、各国で現地法人を設立し、それぞれに駐在員を配置する必要があり、立ち上げに2〜3年、コストも数億円規模になります。EORなら、4カ国に同時に少人数体制を整備でき、立ち上げ期間は1〜2ヶ月で済みます。
| 配偶者帯同社員のリモート就労継続にもEOR 近年急速に広がっているのが、「配偶者帯同社員のリモート就労継続」のためのEOR活用です。 社員Aさんが日本企業の駐在員として海外赴任。配偶者のBさんはこれまで別の日本企業で働いていたが、海外帯同のため退職せざるを得なかった。 → Bさんの勤務先企業がEORを活用し、Bさんを「現地で合法的に雇用」する形に切替。 結果として、Bさんは海外でもキャリアを継続でき、Aさん・Bさん夫婦の生活満足度が向上、AさんとBさん両方の勤務先の人材リテンションが実現。 |
【メリット】EORを選ぶ7つの理由
メリット1:圧倒的なコスト削減
駐在員1名の年間総コスト3,000万〜4,000万円に対し、EORで現地スタッフを雇用するコストは900万〜1,700万円。駐在員1名分の予算で、現地スタッフ3〜4名の体制が組めます。
メリット2:圧倒的なスピード
現地法人設立(3〜6ヶ月)+駐在員派遣(さらに3〜6ヶ月)のプロセスをスキップし、最短2週間で現地でのオペレーションを開始できます。
メリット3:コンプライアンスのリスクをEORが引き受ける
現地労働法、税務、社会保険、賃金体系などの複雑なコンプライアンスは、EORプロバイダーが担います。日本企業はこれらの法令変更を常時ウォッチする必要がなく、専門人材を社内に持つ必要もありません。
メリット4:撤退の柔軟性
事業性を見直す際の撤退コストが最小化されます。現地法人の閉鎖手続き(数ヶ月〜1年、コスト数百万円〜)が不要で、EOR契約の終了のみで対応できます。
メリット5:複数国への並行展開
1社のEORプロバイダーが多数の国に対応している場合、複数国への並行展開を統一的なスキームで実現できます。各国ごとに別々のスキームを構築する必要がありません。
メリット6:本社の管理工数の大幅削減
給与計算、税務、社会保険、現地労務管理、これらすべてが本社人事・経理部門の負担から外れます。連載第1回で扱った「見えない費用」の中で最大の項目を圧縮できます。
メリット7:駐在員特有の課題からの解放
人選の難しさ、家族の同意取得、ビザ取得、住居手配、配偶者キャリア中断、メンタル不調、途中帰任リスク――駐在員制度が抱える根本的な課題のほとんどが、EOR活用では発生しません。
【デメリット・留意点】EORの限界も理解する
EORは万能ではありません。次のような限界も理解した上で活用することが重要です。
限界1:契約締結権限を持たせるとPE認定リスク
EORで雇用したスタッフに「現地で契約を締結する権限」を持たせると、税務上「現地に恒久的施設(PE)がある」と認定され、日本本社が現地法人税の課税対象になるリスクがあります。営業活動を本格化させる段階では、現地法人の設立検討が必要です。
限界2:本社固有の経営理念・技術移転には不向き
「日本本社の経営理念を現地に深く浸透させる」「本社固有の技術・ノウハウを現地に移転する」といった役割は、EORで雇用した現地スタッフだけでは難しい場合があります。駐在員と組み合わせるハイブリッド運用が有効です。
限界3:法人格が必要な取引はできない
現地でテナント契約を結ぶ、銀行口座を開設する、特定の許認可を取得するなど、法人格を要する取引にはEORは対応できません。これらが必要な段階では、現地法人の設立が必要です。
限界4:EORプロバイダーの選択ミスのリスク
EORプロバイダーの質によって、サービス品質、コンプライアンス、コミュニケーション、対応国の広さが大きく異なります。選定を誤ると、想定外のトラブルやコスト超過につながります。次節の「選定基準」をご参照ください。
【選定】EORプロバイダーの選び方
EORを活用する際の成功は、プロバイダー選定にかかっています。次の6つの観点で評価しましょう。
観点1:対応国の広さ
現在計画している進出国だけでなく、将来的な展開も見据えて対応国を確認します。「アジア中心」「欧米中心」など、プロバイダーごとに得意な地域があります。80カ国以上に対応しているグローバルプロバイダーであれば、将来の拡張にも柔軟に対応できます。
観点2:現地法人の有無(直接雇用か再委託か)
重要な確認ポイントは、「EORプロバイダーが対象国に自社の現地法人を持っているか」「それとも現地のパートナーに再委託しているか」です。
| 自社法人型 vs パートナー再委託型 ・自社法人型:EORプロバイダー自身が現地法人を持つ → 雇用主としての責任を直接負い、コンプライアンス・サービス品質が安定 ・パートナー再委託型:現地のパートナー企業が実際の雇用主 → 価格は安いが、品質はパートナー次第。トラブル時の対応が遅延しやすい コンプライアンスリスクとサービス品質を重視するなら、自社法人型のプロバイダーが推奨されます。 |
観点3:日本語対応
海外グローバルプロバイダーの多くは英語ベースで運用されています。日本企業として活用する際、日本語でのサポート体制があるかどうかで、コミュニケーションのスムーズさと社内決裁の通しやすさが大きく変わります。
観点4:料金体系の透明性
EORの料金体系は、定額制、給与比例制、サービス別課金制などプロバイダーごとに異なります。隠れた追加料金(入社手続き費、ビザ申請支援費、解雇手続き費等)がないか、見積もり段階で詳細に確認することが重要です。
観点5:実績と信頼性
創業年数、契約クライアント数、財務状況、グローバルでの認知度などを確認します。EORは長期にわたって人材を預ける仕組みのため、プロバイダーの安定性は極めて重要です。
観点6:付加サービスの広さ
EORだけでなく、BCS(Business Compliance Services)、現地法人設立支援、グローバルモビリティアドバイザリーなど、関連サービスを統合提供しているプロバイダーであれば、事業成長に応じた切り替えが容易です。
【プロセス】EOR導入の5ステップ
ステップ1:要件定義
・進出先の国・都市
・対象ポジションと業務内容
・必要な人数とスキル
・想定するレポートライン
・予算範囲と契約期間
ステップ2:プロバイダー選定
3〜5社のEORプロバイダーから見積もりを取得し、上記の6観点で評価します。可能であれば、既存クライアントへのヒアリングも実施しましょう。
ステップ3:契約締結
EORプロバイダーとの間で「マスターサービスアグリーメント(MSA)」を締結します。契約期間、料金、サービス範囲、解約条件、責任分担、データ保護などを明確化します。
ステップ4:採用と雇用契約
現地スタッフの採用は、自社が候補者を見つけて推薦するパターンと、EORプロバイダーに採用支援を依頼するパターンがあります。決定後、EORプロバイダーが現地法令に準拠した雇用契約を締結します。
ステップ5:入社手続きと運用開始
業務開始後は、本社側が業務指示・評価を行い、EORプロバイダーが給与・労務・税務を継続管理します。月次の状況報告、四半期ごとのレビューミーティングなどの運用ルールを定めましょう。
【成功のコツ】EOR活用を最大化する5つのポイント
ポイント1:「人選」は本社が責任を持つ
EORプロバイダーはあくまでバックオフィス代行。求める人材像の定義、面接、最終決定は本社が責任を持って行うことが重要です。
ポイント2:明確な業務指示とKPI設定
「現地で何をしてほしいか」を明確にし、定量・定性のKPIを設定します。これがないと、本社からのコントロールが弱まります。
ポイント3:定期的なコミュニケーション
週次・月次の定期コミュニケーションを設計し、本社と現地スタッフのつながりを維持します。物理的に離れているからこそ、コミュニケーション設計が重要です。
ポイント4:現地スタッフへの「日本企業の一員」感の醸成
法律上はEORが雇用主ですが、現地スタッフが「日本企業のメンバーである」という意識を持てるよう、社内ポータルアクセス、本社訪問、グローバル研修への参加などを設計しましょう。
ポイント5:成長フェーズに応じた段階的な体制移行
テスト段階はEOR、本格化段階で現地法人設立、安定運用段階で駐在員も追加――というように、事業フェーズに応じた段階的な移行プランを設計します。EORは「ずっと使い続ける」ものではなく、「成長に応じて卒業する」ものとしての位置付けも可能です。
【経営層向け】EORを経営アジェンダに組み込む
EORは単なる「人事の効率化ツール」ではなく、企業のグローバル展開戦略を根本から変えるポテンシャルを持つ仕組みです。経営層として認識すべき3つの戦略的価値を整理します。
戦略的価値1:海外展開のスピードと柔軟性
「市場機会を見極めてから、半年かけて準備する」から「機会を見極めると同時に展開を始める」へ。経営判断のスピードと、それを実行に移すスピードが一致するようになります。
戦略的価値2:失敗コストの最小化
海外展開には常に失敗のリスクがありますが、EORなら撤退コストが最小化されるため、「試す回数」を増やせます。失敗を恐れずに挑戦できる組織文化の支援になります。
戦略的価値3:人材戦略の多様化
「日本から駐在員を送る」一辺倒の戦略から、「現地人材+本社人材のハイブリッド」へと進化させることで、グローバル人材戦略の選択肢が広がり、人材獲得競争力が向上します。
まとめ:EORは「現代の海外展開の標準装備」
EORは、現代の海外展開において、もはや「特殊な選択肢」ではなく「標準装備」になりつつあります。米国・欧州ではすでに広く活用され、日本企業の間でも認知が広がっています。
もちろん、EORは万能ではなく、駐在員制度や現地法人設立に代わる完全な代替ではありません。しかし、「海外展開の選択肢の一つ」として持っていることが、自社のグローバル戦略の柔軟性とスピードを大きく高めます。
本記事を参考に、自社の海外展開戦略にEORを組み込む可能性を検討してみてください。次回(連載第5回)では、こうした新しい選択肢を踏まえた「駐在員規程の見直し」について解説します。
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連載:海外駐在員マネジメント実務
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連載第1回:海外駐在員にかかる本当のコスト
連載第2回:海外駐在員の給与・手当設計:他社はどうしている?
連載第3回:駐在員 vs 現地採用、どちらを選ぶべきか?
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