グローバルM&AカーブアウトにおけるHR課題のナビゲーション

アセット・カーブアウトは非常にリスクの高い取り組みです。企業がこれに踏み切るのは、企業価値の最大化、オペレーションの効率化、あるいはコア事業への集中といった目的のためです。適切に進めば大きな機会を生みますが、誤ればスケジュールの遅延、チームの混乱、ディール価値の毀損を招きかねません。
特にグローバル規模でのカーブアウトは、推測や勘に頼ることを許してくれません。決して簡単な取り組みではなく、隠れた前提や見落とされたリスク、各国に散在するチームをあぶり出します。多くの場合、ディールがすでに進行してから初めて、その複雑さに向き合うことになります。
こうした背景から、先日開催したウェビナー「Navigating HR Challenges in Global M&A Carveouts(グローバルM&AカーブアウトにおけるHR課題の乗り越え方)」には非常に多くのご参加をいただきました。参加者は、混乱しやすい移行プロセス、厳しい締め切り、そしてディールの成否を左右するグローバルな人材移管の現場を深く理解する機会となりました。
セッションには、日々この複雑性と向き合い、ディールの進行を支えるソリューションを構築している専門家が登壇しました。
- Andrew Lindquist(アンドリュー・リンドクイスト)GoGlobal M&Aサービス部門 責任者
- Sariah Lutkin(サライア・ルトキン)GoGlobal M&Aおよび特別プロジェクト部門 ディレクター
- Chuck Moritt(チャック・モリット)Mercer M&Aアドバイザリーサービス パートナー
- Dylan Roberts(ディラン・ロバーツ)PPL 創業者 兼 プリンシパル
登壇者はいずれも、数十の国にまたがるカーブアウト案件をクライアントと共に乗り越えてきた経験を持ちます。どこでディールが成功し、どこで失敗するのか。そして何より、HRの準備状況がその両方を決定づけることを深く理解しています。
本ブログでは、ウェビナーで共有された実践的なインサイトをまとめています。目的は、国を越えた人材移行を円滑に進め、事業継続性とディール価値を損なうことなく前に進むための実務的な指針を提供することです。
カーブアウトにおける「人」の課題:リスクはどこに潜むのか
セッションの冒頭で、Andrewは「ワークフォース戦略は、取引を強くも弱くもします。」という明確なメッセージを提示しました。
コンプライアンスの抜け漏れは価値を下げ、誤った前提は遅延を招き、役割が不明確なままでは推進力が失われます。
特に複数国にまたがるカーブアウトでは高い精度が求められます。
各国で通知期間、従業員の移管、福利厚生、税務義務などのルールが異なるためです。
つまり、リーダーは 「Day 1(移行初日)に、各従業員がどうなるのか」 を国ごとに把握するためのグローバルな全体図を持つ必要があります。
しかし、多くのチームはその「地図」を持っていません。
不完全なデータや古い前提に基づいて作業してしまいがちです。その結果、次のような典型的な見落としが生まれます。
- 従業員移管にかかる時間を過小評価してしまう
- 標準的な移管スキームの対象外となる従業員の存在を見落とす
これらは今回のディスカッションでも繰り返し浮き彫りになった課題です。
しかし、どちらの問題も 早期に着手すれば十分に解決可能 です。
財務面よりも取引を頓挫させる「HRの見落とし」とは
Sariahは、カーブアウトのプロセスの最初の段階へと、参加者の意識を引き戻しました。
彼女が指摘したのは、カーブアウト初期ではHR(人事)の問題が“見えない”ことが多いという現実です。チームはまず財務、資産、システムといった領域に意識を向け、人のことは後回しになりがちです。
しかしSariahによれば、その「後回し」がいつも問題を引き起こします。
彼女は初期段階で陥りやすい3つの落とし穴について説明をしました。
1. 従業員データが正確であると信じてしまうこと。
データが“完璧な状態”で届くことはほとんどありません。
職位と実際の職務内容が一致していない、勤務地が給与データと矛盾している、入社日が契約記録と異なる——こうしたギャップは通知期間や解雇リスクの判断に直結します。
2. 複数国の経験がない社内チームに依存してしまうこと。
国内の人事チームは自国市場には詳しいものの、カーブアウトでは2カ国、10カ国、20カ国以上のルールを理解する必要があります。これは別のスキルセットであり、実務経験から得られる専門性が不可欠です。
3. 標準テンプレートが世界中で通用すると考えてしまうこと。
グローバルで整合性を保つことは重要ですが、規制がそれを阻むことが多々あります。
ドイツで通用するプロセスがインドでは通用せず、日本で成立する戦略がブラジルで破綻することもあります。取引を成功に導くのは“精密さ”であり、“一般化”は失敗を招きます。
Sariahのメッセージはシンプルでありながら力強いものでした。
「HRの準備は選択肢ではありません。それは取引の双方を守るための基盤です。」
最大のオペレーショナルリスク:オーファン従業員への対応
Dylanは、多くの人が誤解しがちな課題であるオーファン従業員(orphaned employees)について取り上げました。
オーファン従業員とは、売却対象の事業側に所属しているにもかかわらず、その国で事業を引き継ぐための法人(ローカルエンティティ)が存在しない孤立した従業員のことです。適切な計画がなければ、彼らには「雇用主」がいない状態が発生してしまいます。
実は、ほぼすべてのグローバル・カーブアウトでオーファン従業員は発生します。彼らは現地の知見を持ち、顧客を担当し、業務プロセスを回し、事業価値を生み出す重要な人材です。彼らを失うと、初日(Day 1)から事業パフォーマンスに影響が出ます。
Chuckは、こうした従業員には明確な受け皿が必要であり、それがないと従業員が「宙ぶらりんの状態」になり、オペレーションが混乱し、取引価値が契約締結前から損なわれると説明しました。
彼はこのリスクを減らすための3つの戦略を紹介しています。
- 影響を受けるすべての従業員を、法的主体(リーガルエンティティ)と職務別にマッピングする
- 各国ごとに最適化した移管モデルを構築する
- 事業継続を守るための暫定ソリューションを整備する(例:EOR(Employer of Record)、NRP(Non-Resident Payroll)など)
経営層からはよく「オーファン従業員への対応を後回しにしてもよいか?」という質問が出ますが、Dylanは迷いなくこう断言しました。「後回しは絶対にしてはいけません。早く決めないと、後で大規模な混乱が必ず起きるでしょう。」
TSAはすべてのギャップを埋めるわけではない
Chuckは、取引を遅らせる典型的な思い込みについて指摘しました。多くのチームは、TSA(Transition Services Agreement:移行支援契約) が人事関連のあらゆるギャップをカバーしてくれると考えていますが、それは誤りです。
TSAはあくまで移行期間をつなぐための仕組みであり、長期的な運用モデルに代わるものではありません。また、各国のコンプライアンス要件を上書きすることもできません。
Chuckは、TSAの限界を明確に分解し、TSAでは以下のことはできないということを説明しました。
- 不足している従業員の配置・組織構造を修正すること
- 各国の労働法やローカルルールを担保すること
- 重要な従業員の離職を防ぐこと
- ガバナンスの不明確さを解消すること
彼は、TSAは完全な解決策ではなく、短期間の足場(scaffolding)のようなものとして扱うべきだと強調しました。TSAは、「新しい組織が安定した基盤を構築するまでの間、一時的に支える役割」に過ぎません。
この説明により、TSAに対する期待値を適切に見直すことができました。
TSAはツールであり、万能の安全網ではないのです。
従業員体験が定着率と取引の安定性を左右する
カーブアウトは従業員に不確実性をもたらします。
自分の雇用主が誰になるのか、今後の役割がどう変わるのか、福利厚生はどうなるのか、こうした疑問は当然生まれますし、特に経営陣からの回答が遅れれば、緊張感は一気に高まります。
SariahとDylanは、コミュニケーションは早く、そして継続的に行う必要があると強調しました。沈黙は高くつきます。離職率が上がり、生産性が落ち、信頼が損なわれます。
登壇者は、実践的でシンプルなコミュニケーションのポイントを示しました。
- 何が確定していて、何がまだ調整中なのかを明確に伝える
- 今後の情報更新タイミングを共有する
- マネージャーに整理された説明用のトーキングポイントを提供する
- 日々の業務にどのような影響があるのか率直に伝える
- 業務が中断されることはないと繰り返し説明する
結論はとてもシンプルです。従業員の気持ちをしっかり守ることが、最終的に会社の価値を守ることにつながります。
実例から学ぶカーブアウトの教訓
登壇者たちは、グローバルな再編に関わった人なら共感せずにはいられない「現場のストーリー」を共有しました。それぞれに、すぐに実践できる重要な教訓があります。
教訓 1:データ問題は放置すると必ず拡大する
ある企業は自社のHRデータが正確だと信じていましたが、実際にはそうではありませんでした。主要マーケットで想定より長い通知義務が判明し、取引のタイムラインが延び、コストも増加。早期にデータを精査していれば防げた事例です。
教訓 2:ローカルの労働法規は常に「グローバル標準」を上回る
米国拠点のチームが15か国に一律の異動モデルを適用しようとしましたが、各国から次々と却下されました。チームは大きなプレッシャーの中、計画を一から作り直すことに。
教訓 3:オーファンド従業員は事業を一気に不安定化させる
重要なオペレーションを担う従業員グループが雇用主スポンサーのビザで働いていました。しかし、売り手がビザを取り消さなければ買い手が新しいビザ申請をできないという点が見落とされていました。結果として従業員は初日に就労できず、買い手は2週間の生産停止を余儀なくされました。
教訓 4:TSAは明確性がなければ機能しない
あるTSAでは、「給与計算を売り手が担当する」と買い手が思い込んでいた一方、売り手は「買い手がすでに引き継いだ」と認識していました。その結果、給与計算が止まり、企業立ち上げ前に従業員の信頼を失う事態に。
次にリーダーが取るべきアクション
今回のウェビナーでは、参加者がすぐに活用できる実践的なアクションリストが提示されました。これは、買い手・売り手・アドバイザーのいずれにも当てはまる内容です。
- HR計画は財務計画と同時に始めること。
人に関わる課題は、すべてのディールマイルストーンに影響します。HRは早期に巻き込むべきです。 - 従業員データは「疑ってかかる」姿勢で精査すること。
クリーンなデータは稀です。すべてを確認し、前提を置かずに見直します。 - 国ごとの移管戦略を構築すること。
近道は禁物です。国ごとの個別ルールには、それぞれに合った対策が必要です。 - オーファンド従業員の特定は“今すぐ”行うこと。
彼らは事業価値を支える重要な知識を持っており、対応を誤るとディール全体を揺るがします。 - TSAは長期計画の代わりではなく、“補助”として設計すること。
TSAはあくまで一時的なツールです。過剰な期待をせず、適切に活用します。 - 従業員へのコミュニケーション戦略を明確に設計すること。
透明性ある情報提供は、移行期における従業員のエンゲージメント維持につながります。
私たちの役割:華やかではない“本当に大変な仕事”に向き合うこと
セッションを通して、一つのテーマが一貫していました。カーブアウトは複雑であり、リスクやノイズ、不確実性を伴います。
しかし朗報があります。経験豊富な専門家が伴走すれば、十分に管理可能だということです。
GoGlobalとM&Aチームは、まさに“混沌とした部分”に踏み込みます。データを整理し、ワークフォースリスクを可視化し、国・地域ごとの戦略を構築します。国を越えた入社手続きやコンプライアンスも管理し、リーダーたちがディールそのものに集中できるよう事業運営を守ります。
これを行う理由は、グローバルなワークフォース移行は、カーブアウト成功の土台であり、ビジネスを止めずに前進させる「地味だけれど極めて重要な仕事」だからです。
私たちのチームは、国や業界をまたぐ長年の経験によって蓄積された確かな知見と自信をもって、この役割を果たしています。
グローバル・カーブアウトは「大胆な明確さ」を持つ者に報いる
グローバル・カーブアウトで成功するリーダーには、共通する特徴があります。それは“タイミングを逃さないこと”です。複雑さに早い段階から向き合い、問題が表面化するのを待たず、正面から対処し、専門家の知見を活用してディールの先を読み切る。思い込みではなく、明確さを選ぶ姿勢です。
今回のスピーカー陣が強調したのもこの点でした。グローバルディールは、準備を怠らないチームに報います。従業員を優先し、各国のルールとグローバルな目標を両立させた移行計画を構築するチームにも報います。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。今回のセッションが、次のカーブアウトを精密かつ自信を持って進めるためのヒントになれば幸いです。セッションの録画はこちらからご覧いただけます。
さらに踏み込んだサポートをご希望の場合は、GoGlobalのM&Aチームがいつでもお力になります。
私たちはこれまで数多くの同様の課題に向き合い、解決してきました。そして、皆さまの次の大きな一歩を支える準備が整っています。
M&A取引において、EORソリューションがどのように貢献できるか詳しく知りたい方は、ぜひGoGlobalのM&Aスペシャリストまでご相談ください。
貴社の取引要件に合わせた最適な戦略をご提案いたします。お気軽にお問合せください。
本ブログで提供する内容は、一般的な情報提供のみを目的としたものであり、法的助言と見なすべきものではありません。今後規制が変更されることがあり、情報が古くなる可能性があります。
