中東における法人設立:外国投資家が見落としがちな“隠れたコスト”

中東経済は、いま世界の注目を集めています。たとえばアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、カタールはいずれも、直近でGDP予測を上回る成長を遂げました。ドイツ銀行の報告によれば、湾岸協力会議(GCC)加盟国の経済は、現在世界でも最も成長の著しい地域のひとつとされており、当初は石油資源によって支えられ、現在では大胆な経済多角化戦略によって加速しています。代表例としては、サウジアラビアの「Vision 2030」、UAEの「We the UAE 2031」、カタールの「第3次国家開発戦略(NDS3)」などが挙げられます。
これらは単なるスローガンではありません。いずれも数兆ドル規模の経済変革に向けた国家戦略です。そして、こうした変革の波に多くの国際企業が注目しています。
エネルギー、フィンテック、コンサルティング、ヘルスケアなど、さまざまな分野で中東地域は国際ビジネスの新たな拠点となりつつあります。税制優遇措置、若年層の豊富な労働力、そして大規模なインフラ投資が魅力となり、参入メリットは非常に大きいように見えます。
しかし、その裏側には見過ごされがちな注意点があります。中東で法人を設立・運営するには、単にライセンス料や現地パートナーの確保といった表面的なコストだけでなく、規制・業務運営・企業評判といった“隠れたコスト”が存在します。こうした要素を見落とすことで、企業の海外展開が思わぬ形でつまずくリスクもあるのです。
本ブログ記事では、多くの企業が陥りがちな見落としポイントを整理し、回避するための実践的な対策について解説します。
中東で高まるコンプライアンス・コスト
中東におけるコンプライアンスを単なる事務的な手続きと捉えているのであれば、考えを改める必要があります。
LexisNexisの委託による調査によれば、UAEおよびサウジアラビアにおける金融犯罪対策関連のコンプライアンス・コストは、年間で合計18億ドルに達しています。意思決定層の約98%が支出の増加を報告しており、その多くは人件費、テクノロジー、外部サービスへの投資に向けられています。
UAEでは、金融犯罪への取り締まりが一層強化されています。2024年には、中央銀行がマネーロンダリング(AML)およびテロ資金供与対策(CFT)違反により、金融機関に対して合計3億3,900万ディルハム(約9,230万米ドル)の罰金を科しました。また、連邦AML法の改正により、「マネーロンダリングおよびテロ・違法組織資金供与対策国家委員会」に執行権限が集中されるなど、法制度の整備も進められています。
一方、サウジアラビアも動きを加速しており、実質的支配者(UBO)に関する新たな規制を導入することで、AMLの執行体制を強化し、企業の透明性向上を図っています。
これは単なる政策の転換ではありません。規制当局の目は確実に厳しくなっており、取り締まりも加速度的に強化されつつあります。
現地化要件が人材戦略を根本から変える
ビジネスプランだけでは不十分です。今や、各国の国家優先事項と整合した人材戦略が求められています。
たとえば、サウジアラビアでは2024年3月より、コンサルティング業界の全職種のうち40%をサウジ国民が担うことが義務付けられました。このいわゆる「サウジ化(Saudization)」は、象徴的な取り組みにとどまりません。要件を満たさない場合、罰金や事業遅延、さらには営業ライセンスの取消しといったリスクが生じる可能性があります。
こうした動きはサウジアラビアだけに限られません。
- オマーンでは「オマーン化(Omanization)」を推進し、銀行、保険、エンジニアリングといった分野で国民の雇用を優先。
- UAE(アラブ首長国連邦)は「エミラティゼーション(Emiratization)」を進めており、2026年までに熟練職種の10%を自国民が占めることを目標に、民間企業に対して雇用比率の達成を義務づけています。
- カタールやクウェートも同様に、政府機関や企業などあらゆる分野における国民雇用の拡大を目指す政策を導入しています。
国や業種によって適用される雇用比率は異なるものの、共通して言えるのは、国際企業が限られた労働市場の中で、想定以上の給与水準で地元人材の確保を求められているという点です。
たとえば、プロジェクトマネージャーやファイナンシャルアナリストを採用する場合、その職務に自国民を起用できない合理的な理由を提示する必要があります。
このような現地化政策が進む中では、単なる事業計画だけでなく、法令遵守と競争力を兼ね備えた人材戦略が不可欠です。
中東における銀行口座の開設は、時間もコストもかかるプロセス
中東で法人銀行口座を開設するのは、単なるルーチン業務ではありません。それ自体がひとつのプロジェクトと言っても過言ではありません。
手続きをスムーズに進めるためには、専門サービスへの依頼が必要になることが一般的で、それに伴うプロフェッショナル・フィー(専門家報酬)が発生します。また、強化されたデューデリジェンスや厳格な顧客確認(KYC)により、口座開設手続きにも時間を要します。
すべての書類が揃っていたとしても、開設完了までには通常2〜4週間ほどかかります。外国法人の場合は、さらに時間が延びるケースも少なくありません。
加えて、オフショア銀行では最低預金額(通常5,000〜10,000米ドル程度)が求められることが多く、非居住法人に対しては月額の口座維持手数料が高く設定されている傾向があります。
地域統括拠点の設置義務化:中東で進む新たな潮流?
中東各国では現在、単なる優遇措置を超え、より厳格な「実体要件(エコノミック・サブスタンス)」を求める動きが加速しています。これは、外国企業に対して、より深く現地に根差した事業展開を求めることで、本格的な市場参入と競争を促す狙いがあります。
その先頭を走るのがサウジアラビアです。2024年1月以降、同国では地域統括拠点(Regional Headquarters:RHQ)を国内に設置していない外国企業には、政府関連契約への参加が認められなくなりました。
これは単なる形式的な要件ではなく、経営判断や雇用、資本の流れを自国内に取り込むことを目的とした戦略的な政策です。企業側に求められるのは、6〜8週間の設立期間、オフィス物件の確保、現地スタッフの雇用、継続的な運営コストなどです。
一方で、大きなインセンティブも用意されています。地域統括拠点として認定された企業には、最大30年間のサウジ化(Saudization)義務の免除や、外国人労働者のビザ発給上限撤廃といった優遇措置が与えられる可能性があります。
中長期的に湾岸地域での事業拡大を見据える企業にとって、これは単なる制度対応ではなく、戦略的なポジショニングの一環といえるでしょう。
法人設立にかかるコストは、思った以上に積み上がる
法人設立費用は「一度きりの出費」と見なされがちですが、実際には市場参入の“入場券”に過ぎません。
法人設立後も、義務監査や税務申告、現地代理人の確保、定期的な報告義務、政府許認可の更新など、多くの継続的コストが発生します。これらは国・地域や業種によって異なり、さらに規制改正や政治的変動によっても変動する可能性があります。
フェーズ | 主なコスト項目 |
---|---|
設立 | 法務手続き、規制対応、銀行口座開設など |
運用 | コンプライアンス対応、人材確保、現地化要件の遵守 |
拡大 | 新たな規制対応、デジタルインフラ整備 |
撤退 | 清算手続き、規制当局の承認、税務精算、従業員への補償など |
国際企業にとって、こうした見えにくい継続コストを過小評価すると、財務予測のずれや社内リソースの逼迫、さらにはグローバルな事業運営への影響につながる可能性があります。
さらに注意すべきは撤退フェーズです。事業再編やM&A、戦略転換などに伴い撤退が必要となった場合、設立時よりもはるかに高額で、時間のかかるプロセスとなることも珍しくありません。撤退には、規制当局の承認、税務精算、従業員との和解、長期間にわたる管理手続きが伴います。
だからこそ、重要なのは設立時点だけでなく、法人の「ライフサイクル全体」を視野に入れた計画を立てることです。
中東で進むプライバシー法の強化とデータローカライゼーション義務
湾岸諸国をはじめとする中東地域では、デジタル主権の確立に向けた取り組みが急速に進んでいます。各国政府は、プライバシー保護の強化、データローカライゼーション(データの国内保管義務)の推進、そして違反時の罰則強化を通じて、明確かつ厳格な法制度を整備しています。これらは抽象的なガイドラインではなく、実効性をもつ法的枠組みとして執行されつつあります。
たとえば、UAEの「個人データ保護法(PDPL)」では、違反1件につき最大500万ディルハム(約136万米ドル)の罰金が科される可能性があります。企業には、文書化されたデータ影響評価(DPIA)、従業員トレーニング、越境データ転送プロトコルの整備などを含む、堅牢なデータガバナンス体制の構築が求められます。
コンプライアンスは任意ではありません。データを現地に保存しない、または正当な同意を得ていない場合には、金銭的罰則だけでなく、規制当局による調査や事業制限、さらには業務停止といった深刻な影響を受ける可能性があります。
たとえば、EUや米国の本社から中央集約型システムを運用する予定がある場合、その構成を見直す必要があるかもしれません。データローカライゼーション法では、特定のデータを国内で保管・処理することが義務付けられており、適切な保護措置が確保されていない国へのデータ転送には制限が設けられる場合があります。また、現地データ管理責任者(データコントローラー)の配置が求められることもあります。
これらの要件は、クラウド戦略、ソフトウェア設計、ベンダー選定に大きな影響を与える可能性があります。そのため、インフラ設計の初期段階からコンプライアンスを前提とした体制構築が不可欠です。
フリーゾーンと本土進出は、単なる税務上の判断ではない
中東地域のフリーゾーンは、参入障壁が低く、外国企業が100%所有できることや、現地化要件が比較的緩やかなことから非常に魅力的に映ります。しかし、その「シンプルさ」をそのまま全てのビジネスに当てはめてはいけません。
多くの公共契約や一部の民間セクターでは、本土(メインランド)での事業展開が必須となっています。たとえばUAEには40を超えるフリーゾーンがありますが、それぞれ独自の規則や料金、規制が存在します。
誤った選択をすると、主要市場へのアクセスが制限されたり、従業員のスポンサーになれなかったり、フリーゾーン外でのサービス提供が制限される可能性があります。さらに、フリーゾーンから本土へ事業形態を切り替える場合、手続きを一からやり直す必要があり、新たな許認可の取得や多額のコストが発生します。
各事業形態の商業的な範囲をしっかり理解した上で選択することが、戦略的なポジショニングと高額な失敗の分かれ目となります。現地の知見と規制に精通した専門家のサポートを得ることが、初めての挑戦を成功に導く鍵です。
中東での隠れたコストを抑える方法
事業拡大は、一気に進める必要はありませんし、負担が大きくなることもありません。しかし、細かい規定を見落とすと、後々思わぬ高額なコストやコンプライアンス上のトラブルに繋がるリスクがあります。賢い企業は段階的かつ情報に基づいたアプローチで、余計な負担や問題を回避しています。
- まずは市場を調査する
法人設立の前に、海外雇用代行サービス(EOR)を活用して市場をテストします。 - コンプライアンスを自動化する
規制対応や人事管理に役立つRegTech(規制技術)やHR Tech Stack(人事テクノロジー)に投資し、現地ルールや報告期限を確実に管理します。 - 現地パートナーを活用する
書面だけでなく現場の実情に精通し、現地の言語や規制を理解したアドバイザーと連携します。 - 段階的に拡大する
5市場一斉に展開するのではなく、まずは1〜2市場から着実に進め、計画的に拡大していきます。
チャンスから実行へ:細かな規定を読み解くことの重要性
中東地域は大きな可能性に満ちています。しかし、成功をつかむのは、事前準備を怠らず、細かな規定までしっかりと読み込んだ企業だけです。
単に法人を設立するだけではありません。急速に変化するルールや、静かに増えていくコストが待ち受ける、変革の真っただ中の地域に足を踏み入れるのです。
リスクを理解し、進むべき道筋を描くこと。高い成長ポテンシャルを「簡単さ」と混同してはいけません。
グローバルパートナーと連携することで、長期的なコストを見極め、最初から賢い判断を下すことが可能になります。初めて市場に参入する場合も、国際展開を見直す場合も、現地に精通した適切なサポートがあるかどうかで、持続可能で拡張可能なビジネス基盤を築けるか、高額な失敗に陥るかの分かれ道となります。
信頼できるパートナーがいれば、細かい手続きに足を取られることなく、目標に向かって確実に進むことができるでしょう。
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